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第32回 名門コースのラッキーボーイ

名門コースの条件があるとするなら、「静けさ」はその中のひとつであることに間違いはないだろう。朝のマスター室の前は人がいるにもかかわらず、実にしんと静かである。パター練習場においても然り。「昨夜は飲み過ぎちゃってさ、がっはっは」、「もう言い訳するのかよ!」と辺りを気にする様子もなく大声で騒いでいる連中など、もちろんいない。皆ささやくように、小さな声で挨拶を交わし、微笑みを返す。

コースに出てもその静けさには変わりはない。名門というのはだいたいが松林でセパレートされていて、隣のホールを歩く人達が見え隠れするものだ。人が歩いているのは見えるが、聞こえてくるのは微かなティーショットの音ぐらいで、時折キャディさんのフォアの声がかかる程度だろうか。

ゴルフ場はあれだけ広いにもかかわらず、実は他の組の音はよく聞こえるものだ。同組のプレーはもちろん息をひそめて静かに見守るが、いざティーショットを打とうと構えた時に隣のグリーンから「きゃー!入った!」「ナイスパー!」「惜しいね!」などというような大きな声が聞こえてきてびっくりすることがある。その逆もまた然りで、グリーン上で慎重にパターのアドレスに入った時に、隣のティーグランドから「うわー、曲がっちまった!」「やばい!ひっかけだー!」と悲嘆にくれる叫び声が届くこともある。

一度、とても嫌な思いをしたことがある。グリーン上でパターを構え、いざ打つその瞬間に、「いいからサッサと打っちまえよ。どうせ入らないけどな」と野次るような声が聞こえたのである。後ろの組にいた一人が、フェアウェイで待ちながら悪態をついていた。セカンドショットをグリーンにオンしようと待機しているわけだから、かなりの距離がある。あちらはよもや聞こえはしまいと野次ったのだろうが、息を詰めるグリーン上ではそんな声もしっかり耳に入るものなのだ。

いずれもゴルフを楽しみ、真剣に取り組んでいるに違いはないが、ゴルフ場で大きな音を出すのはどうにも品に欠ける。喜んだり、悔しがったり、同伴者を褒め称えるにも、大げさに拍手をしたり騒ぎ立てる必要はない。

そう、静けさは品格なのだ。名門を名門たらしめているのは、この静けさにあるのだろう。

先日はひさしぶりに地元の名門コースでゴルフを楽しむ機会に恵まれた。紅葉にはまだ少し早かったが、暑い夏が終わり、濃厚な秋の気配に包まれたゴルフ場には独特の風情がある。

「静かだねえ」とフェアウェイを一緒に歩いている友人がぽつりと言った。「まるで貸し切りみたいだね」と続いた友人の言葉も、高い秋の空に吸い込まれて消えそうなほどだった。

前後の組もいるにはいたが、つかず離れずの間隔でほとんど気配を感じない。松林の向こうには隣のホールを歩く人影もちらちらと見えるが、それにしても静かなので、友人の言うようにまるでゴルフ場を貸し切ってプレーしているかのようである。

このコースに来るのは年に数えるほどしかない。夏に開催される市のゴルフ大会と地区対抗戦に出る時ぐらいで、あとはそのための練習ラウンドか、会員になっている友人の紹介で一度くらいラウンドさせてもらう機会があるかしら、という程度だ。

そこそこに距離もあり、アップダウンの差がきついホールもあるので、簡単なコースではないと思う。その割には相性が良いのか、大会で自己ベストタイを出して二度ばかり女子ベスグロ賞をとった。この日もレギュラーティーから打って、前半は41と実力以上の出来に気を良くして昼食のレストランに向かった。

メニューを手に眺めていると、「井上さん、お久しぶりです」と声をかけられた。顔を上げると、見覚えのあるレストランの従業員の男性が笑顔で立っていた。

「お久しぶりです」と挨拶を返しながら、笑みがこぼれた。年に数回しかやって来ないわたしの名前と顔を覚えていてくださるなんて、なんだか照れてしまう。

「それにしてもよく覚えていてくださいますね」とわたし。
「もちろんですよ」と言ってから、彼はすこし躊躇うように間をおいて、「今年は試合には来なかったんですね」と付け加えた。

ああ、そうだったとここで合点がいった。一瞬にして様々な記憶が甦った。去年、このレストランで行われた表彰式でわたしはスピーチをした。それを見ていた彼が名前と顔を覚えていてくれたのだろう。つぎの大会で訪れた時、「今日もベスグロをとれますよ。とってくださいね」と朝、彼に声をかけられた。「そんなに何度もとれるものではないですよ」と照れながら答えたその数時間後、またしても表彰式でわたしはスピーチをしていた。帰り際に、厨房の奥から出て来た彼が「ほら、やっぱりとったでしょう?!」と笑顔を投げかけてくれた時、この男性はわたしのラッキーボーイなのかしら、と一人でひそかに笑った覚えがある。ボーイというにはちょっと年がいっているけれど、わたしにラッキーをもたらす男性にはちがいないと。

「今年は試合には来なかったんですね」と言われて、わたしは咄嗟に返す言葉が見当たらずに口ごもった。たしかに試合には出なかった。地区対抗戦は北海道に帰省している時期と重なったために出られなかったが、市のゴルフ大会はエントリーしたにもかかわらず、直前でキャンセルしたのである。

大会といっても公式戦でもなく、なかばお遊びのような新ペリ競技にはもう興味が持てなくなったから、と彼に言えるだろうか。答えに窮しながら、いつからわたしはそんなに偉くなったのだろうかと考えていた。

上達することだけを目標にし、スコアばかりを気にして、勝つために競技に出る。それもゴルフ。でも、わたしには他のゴルフもあったはず。

大会の朝に応援してくれて、わたしの名前と顔を覚えて、試合に出なかったことを気にかけてくれる人がいる。どこかに、そんな人がいる。それはわたしがゴルフをしていたから出会えた人だ。

ほらね、ゴルフをしているとそんな素晴らしいことにも巡り会えるんだよ、とゴルフの女神が遠くからわたしに囁いている。ちょっとばかり年のいったラッキーボーイと一緒に、わたしに笑いかけてくる。


ゴーゴー以知子
埼玉在住。家から30分圏内にゴルフ場が15ヵ所ぐらいあります。もっぱら近場の地元ゴルファーですがお誘いがあれば遠方にも出かけて行きます。ウッド系はTaylorMade R9、アイアンはYAMAHA inpresX Z cavity。2011年10月に行われた日本オープン選手権のプロアマ大会に出場。以来、一緒にラウンドしたJ・チョイさんの大ファンです。自身が主催する「いちこ杯」も3年目を迎え、ゴルフ友だちとの大切な触れあいの場となっています。

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